骨法沼男のプロ格調査報告書

骨法という沼にハマったプロレスや格闘技を中心とした潜入調査員による報告書

格闘技界の強すぎた裏番長 トム・エリクソン【格闘技外国人モンスター列伝 第1回】

1今回は我輩は本格的な連載というものに挑戦してみようと思っている。

題して「格闘技外国人モンスター列伝」。

あらゆるジャンルの格闘技界の新旧外国人選手の格闘人生を取り上げる連載である。日本格闘技界には数多くの外国人モンスターが来襲してきた。そんな選手達にスポットを当てることにしたのだ。ちなみにモンスターと題名に入れたのは、日本人に比べると外国人は基本的にフィジカルが違うと言われていて、例えその選手がテクニシャンタイプだったとしても、スキルはモンスター級だとしたら取り上げるかもしれないので、決してパワーだけを特定して取り上げるわけではない。

 

 

さて第1回の「格闘技外国人モンスター列伝」で誰を取り上げるのかである。これは本当に悩んだ。候補はたくさんいたのだが、我輩はこの選手にした。

 

”白鯨”トム・エリクソン

 

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193cm 133kgの頑丈な巨体、レスリングで世界トップクラスの実力、しかも巨体の割りに俊敏で打撃にも自信があり、あまりにも強すぎるがゆえになかなか対戦相手が見つかなかったという逸話を持ち、一部からは最強説が語られている。

 

我輩が彼の名を知ったのは格闘技通信だった。UFC創設して数年が経ち、世界各地でさまざまな大会が開催されていた。当時のMMAは、NHB(ノー・ホールズ・バード)と呼ばれていてグレイシー柔術を中心として柔術、プロレス、キックボクシングといったジャンルの猛者達、タンク・アボットのようにストリートファイト自慢が入り混じった世界。そこにレスリングの五輪代表クラスが参入してくるようになる。エリクソンもその一人だった。

 

ビッグキャット、白鯨と呼ばれたエリクソン1964年7月6日アメリカ・イリノイ州シカゴハイツで生まれた。少年時代からレスリング(フリースタイル)を始めた彼はその才能を開花させ、全米ジュニアカレッジ選手権優勝、NCAA優勝などの実績をあげてきた。だがオリンピックには縁がなく、全米選手権優勝することはなく、世界大会で4位入賞がレスラーとしてベストキャリアだっ。1997年からパーデュー大学レスリング部でアシスタントコーチとなり、2015年よりリヨン大学レスリング部のヘッドコーチとなる。レスリングに関しては選手より指導者として長年携わってきた。

 

 そんなエリクソンは1996年創設されたトップクラスのレスリング選手で構成されるrAwチームの創設メンバー。rAwでNHB用のトレーニングを積み1997年にMMAデビューを果たす。

 

1997年6月15日、ブラジルで開催されたBrazil Open '97トーナメントに出場、決勝でケビン・ランデルマンと対戦し、KO勝ちを収め優勝する。1997年10月に「THE CONTENDERS」という組み技限定の格闘技イベント)で当時リングス・ジャパン高阪剛と対戦し、体重差とレスリングでの経験を活かし終始ポジショニングで優位に立ちで判定勝ちを果たす。1997年11月29日、VALE TUDO JAPAN '97で初来日。エド・デ・クライフと対戦し、TKO勝ち。

 

エリクソンの強さはレスリングで培ったフィジカルとポジショニングであり、常に上になり圧力をかけて、相手のスタミナを奪ってしまう。そこにスピードが備わっているのだ。またその勝ち方も相手の心を折るものだった。

 

そこから二年後の1999年11月にPRIDEに参戦し、後に大親友となるゲーリー・グッドリッジを破っている。翌年にノールールの世界最強トーナメントPRIDEGP2000を開催することになっていたため、エリクソンもそのメンバーに名を連ねるものだと思われていたが、彼の名はなかった。

 

実はエリクソンは後に「マーク・ケアーPRIDEで自分との対戦を避けたため、トーナメントに招待されなかった」と語り、このトーナメントに出場したグッドリッジも「ケアーとリコ・ロドリゲス(トーナメントに参加していないがこの頃のPRIDEに参戦していた格闘家)はエリクソンと戦わないことを契約に明確に入れていた」と証言している。

 

原因はシンプルに強すぎるからだ。強いことはいいことであるが、強すぎると対戦相手が見つからないという弊害が生まれたりするのだ。

 

 その後エリクソンは2000年10月のPRIDEで"テキサスの暴れ馬"ヒース・ヒーリングと対戦し、チョークスリーパーで敗退する。これがMMA初黒星となった。

 

ここからエリクソンは度々PRIDEに参戦し勝利しているが、その相手はMMAのトップファイターではない。なぜなのか?

 

その理由も強すぎるからだ。ヒーリングに敗れたとはいえその強さは本物だ。実はアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラエメリヤーエンコ・ヒョードルセーム・シュルトといったトップファイターたちが対戦を見送ったというエピソードがある。表舞台で活躍するモンスターたちが敬遠した男、裏番長として君臨する男…それがエリクソンだった。

対戦相手の拒否やマッチメイクの難航でMMAでカードが組まれなくなったエリクソンはなんとK-1に参戦する。総合格闘技から立ち技格闘技の世界へ。結果は南アフリカのヤン・ノルキアに勝ったが1勝3敗に終わっている。

 

その後、2005年からMMAに復帰するも40歳を越え全盛期を過ぎていたエリクソンは負け続け、MMAの世界から足を洗った。

 

「世界最強の男は誰だ?」

 

このようなワードで開催する格闘技の大会はたくさんある。格闘技で強さを追い求めると「最強の男」になりたいという目標が生まれたりする。だがエリクソンのように強すぎると世界最強トーナメントから敬遠されるケースがある。

 

言葉がきついかもしれないが、例え強かったとしても、それを証明する舞台がなければ、その強さは自称にしかすぎない。

 

その悲しい現実を格闘技界の強すぎた裏番長トム・エリクソンの格闘人生は教えてくれる。

 

我輩からの報告は以上であーる!!