世界空手道連盟・士道館についての報告②「男が憧れる男たち!猛き士魂の空手家列伝 大石亨・佐藤堅一編」
前回から我輩は世界空手道連盟・士道館について報告をまとめ、「猛き士魂の空手家列伝」を題して、士道館で活躍した男達を紹介している。今回は二人の空手家を取り上げることにしよう。まず、一人目はこの男であーる!
"怖い顔のテクニシャン"大石亨
大石亨は空手とキックボクシングの両ルールで日本王者に輝いた人呼んで”怖い顔のテクニシャン”である。士道館全日本大会無差別級で実に4度制覇し、MA日本キックボクシング連盟ヘビー級王者となった。また士道館代表としてK-1に参戦し、K-1 JAPAN GP 1998第3位に輝いたことがある。
185cm 98kgと体格にも恵まれた大石は20代前半から士道館全日本大会で上位に進出し、士道館期待の新星として評価されてきた。空手家として実績を残す一方で老舗キックボクシング団体であるMA日本キックボクシングにも参戦し、グローブマッチの経験も積んできた。士道館は「立ち技世界最強」K-1を立ち上げた正道会館と共にグローブマッチに早くから対応してきた。実は士道館総本部には若虎寮という人材育成機関があり、その寮生になると空手とキックボクシングを修行するという。大石もこの若虎寮出身なのだ。大石は空手とキックボクシングのトレーニングを並行し、根性論だけではなく、技術も磨いたので、彼は”怖い顔のテクニシャン”と呼ばれたのである。
だが士魂の持ち主である大石の信条は真っ向勝負。特にK-1JAPANでは長らく武蔵に次ぐナンバー2として活躍した中迫剛とはライバル関係だった。中迫戦では魂と技術と織り交ぜた大石スタイルで中迫と白熱の攻防を繰り広げてきた。一度は接戦の末、勝利したことがある。
K-1時代には武蔵、中迫剛、天田ヒロミらと共にトップファイターとして、K-1 JAPAN を盛り上げてきた。元々は士道館所属だったが、日進会館に移籍している。
現在は東京・狛江に大石キックボクシングクラブを経営している。現役時代に恐れられたその風貌は今や柔和な笑顔に包まれている。
それでは二人目はこの男であーる!
"魔人"佐藤堅一
さて、二人目に紹介するのが士道館・若虎寮出身でキックボクサーとして活躍し"魔人"佐藤堅一。
佐藤は若虎寮で空手とキックボクシングを学び、キックボクサーとしてMA日本キックボクシングのライト級で頭角を現す。MAキックでは看板ファイターとして活躍し、ライト級、スーパーライト級、ウェルター級の三階級制覇を果たいしている。また、1997年11月9日東京ドームで開催された「K-1JAPANフェザー級GP1997」に出場し、当時シュートボクシングの村浜武洋と激闘の末、敗れ準優勝に終わったが、「魔人・佐藤」の存在を格闘技界全体に名を広めた。
現在は士道館ひばりヶ丘道場の師範として、後進の指導や、士道館主催の空手大会の運営に当たっている。キックボクサーとして活躍した佐藤が帰った故郷は士魂の空手だった。
今回は奇しくも士道館人材育成期間・若虎寮出身の空手家を取り上げたが、この若虎寮の実体が気になってきたので、引き続き調査することにして、また発表させていただければと考えている。
この士道館特集は、今回で一旦終了。若虎寮や他の士道館戦士、士道館の魅力についてはまた改めてご報告させていただくことにして、我輩は次の調査に挑むことにした。
我輩からの報告は以上であーる!!