市街地実戦格闘技・掣圏道についての報告書①「1999年、掣圏道誕生」
はてなブログで調査報告をすることになった我輩。さて最初に何をテーマにした記事を書くのかであーる。
ここからは「あーる」を封印して真面目に綴ることにしよう。
初回に何を取り上げるのか。我輩は骨法という沼にはまった男なのだが、まだまだ知識は他の骨法クラスタに比べると浅い方がと思う。プロレスや格闘技を好きになった1990年代の我輩は客観的に骨法を捉えていたわけである。
骨法は武道であり、スポーツとは対極の世界観で生き、実戦を想定した格闘技である。実戦武道といえば、我輩は1999年に初代タイガーマスクこと佐山聡が立ち上げた掣圏道(掣圏真影流)が思い浮かぶ。
今回は掣圏道について書くことにしたのである。
修斗で「打・投・極」の総合格闘技を確立した佐山が新たな桃源郷として創設したのが「市街地型実戦格闘技」という理念を掲げた新興武道・掣圏道だった。
掣圏道の道着は独特でスーツ型の襟である。これはサラリーマンやビジネスマン、ボディーガードといった人達がもし暴漢に襲われた場合はスーツを着ているということを想定した上で作られた道着なのだ。さすが佐山、細部までこだわっている。また、掣圏道では挨拶や返事を空手の「押忍」を行う習わしになっているが、その形は空手とは違い敬礼なのだ。ここも佐山テイスト。
この掣圏道では、柔術やMMAで用いるガードポジションは使わず、常に相手の上になり、別の相手に襲われても立ち向かえるようにすることを想定としていた。市街地で複数を相手にした場合はマウントポジションでは返り討ちに合うとした佐山は掣圏道で推奨したのは著書の写真に用いられているニープレス(ニー・オン・ザ・ベリー)である。
ニープレスの状態で相手を封じておくともう一人が襲っていても対処できるというのが掣圏道創設時の佐山の理論だった。
今は武道に特化している掣圏道だが、誕生当初は興業の世界に果敢にも飛びこみ、巡業もこなしていた。SAアブソリュート(バーリ・トゥード)も敢行したり、佐山自身も初代タイガーマスクとして出場したプロレスも興業の一部門としてカードに組まれていた。
そして掣圏道を普及させるために佐山が考えたのは実際に興業として満天下に見てもらうことだった。彼は掣圏道の素晴らしさを競技というフィルターを通して伝えようとしたのだ。
それがマウントパンチや投げ有りのキックボクシングとも言える格闘技SAボクシング(アルティメット・ボクシング)である。
次回は、SAボクシングとこの格闘技の目玉となったロシア軍団について報告させていただく。
我輩からの報告は以上であーる!