骨法沼男のプロ格調査報告書

骨法という沼にハマったプロレスや格闘技を中心とした潜入調査員による報告書

市街地実戦格闘技・掣圏道についての報告書②「SAボクシング(アルティメット・ボクシング)とロシア軍団」

掣圏道は、創立当初は新興武道でありながら興業との両立を測ろうとしていた。興業の目玉としていたのがSAボクシング(アルティメット・ボクシング)である。


f:id:hhhhhq:20200317085657j:image

 

SAボクシングのSAとは何か?SAは(掣圏道協会・SEIKENDO ASSOCIATION)の略。ルールは立った状態でのパンチ・キック・投げ技が有効。寝た状態では、パンチのみが有効。ただし関節技は反則なので、立ち関節技を認めているシュートボクシングとは異なり、またマウントパンチは認められているが、サッカーボールキックやフットスタンフは反則である。

 


f:id:hhhhhq:20200317221554j:image

 

このSAボクシングの主力となったのが、創設者の佐山聡が連れてきたロシアの格闘家達。キックボクシング、サンボ、レスリング、ボクシング、柔道、空手、アブソリュート(ロシアでいうところの総合格闘技)などあらゆる格闘技の猛者が、北海道にある廃校になった教室を改良した怪物養成機関・虎の穴(タイガーズ・デン)に集めれていた。かつてアントニオ猪木新日本プロレスソ連レスリングの強豪をプロレスに転向させ、レッドブル軍団を結成させた。世紀末に入り、今度は佐山がプロデュースのロシア軍団が誕生したのである。1989年に打ち上げられた格闘衛星は10年後にも虎の名の元に打ち上げられた。

 

掣圏道は創立当初は北海道を中心に巡業を展開していた。SAボクシングやアブソリュートで勝っていった選手はその後の興業にも出場していたが、不甲斐ない試合をして敗れた選手はロシアに強制送還されていたという話もあるので、ロシア軍団、なかなかのスパルタ機関なのだ。

 

掣圏道ではニープレス(ニー・オン・ザ・ベリー)からのパンチを推奨していたのだが、ロシア軍団の多くの男達は普段から慣れているマウントポジションになってからのパンチを使っていた。

そんな中で一人、ニープレスを使いこなし、巡業で連戦連勝を誇っていたのがスルタンマゴメドフ・カフカズという選手。キックボクシングやアブソリュートを活躍した選手で、佐山から認められていた彼はミスター掣圏道と呼ばれていた。アブソリュートでは当時はPRIDEのトップファイターの一人だったイゴール・ボブチャンチンに勝ったことがあると言われていた。

 

 

1999年10月2日に掣圏道は東京に進出。なんと有明コロシアムでビッグマッチを開催する。その開会式で佐山はこんな挨拶をしている。

 

「私はよく人から10年早いと言われることはあります。今日の会場は1999年ではなく、2009年10月2日だと思ってください!」

 

10年先の格闘技が見れる。一部の格闘技マニアは掣圏道に幻想を抱いた。

 

この有明大会で掣圏道はなんと四つ(スーパーヘビー級、ヘビー級、ライトヘビー級、ミドル級)の階級世界王者決定戦を組んでいた。だが、その王者決定戦に日本人はおろか著名な外国人ファイターは出場せず、格闘技マニアなら知っているかもしれないオランダのウィリアム・ロスマーレンやボブ・シュクライバーくらいが出たくらいであとは実績はあるのかもしれないが日本では無名のファイターが多かった。

 

佐山が認めたロシア軍団大将カフカズはオランダのロスマーレンを破り、SWA(掣圏道世界協会)世界ヘビー級王者となる。

 


f:id:hhhhhq:20200317220418j:image

 

ロシア軍団からはセルゲイ・グール、アースラン・マゴメドフ、マゴメド・マゴメドフ、シャミール・ガイダルベコフ、ボリショフ・イゴリ、アフメドフ・ズラフ、ポドリチャン・デニス、キルサノフ・アンドレイなどの戦士を輩出してきた。中には掣圏道からK-1やPRIDEに参戦した選手達もいた。

 

恐らくロシア軍団の格闘家達は強いのだが、団体のトップを取るという人達ではなかったように思える。だから彼らが主役のイベントではなく、まずは彼らがあらゆる団体に喧嘩を売ってから自主興業や彼らを主役の興業を打ったりするとまた違った展開があったのではと我輩は考えるのである。

 

 

SAボクシングからアルティメット・ボクシングに改名し、2000年6月9日になんと横浜アリーナ大会を開催し、PRIDE軍団と対抗戦を行っている。


f:id:hhhhhq:20200317221250j:image

 

だがいつしか掣圏道の興業にロシア軍団の姿は消えていた。ロシア軍団が掣圏道から手を引くと掣圏道はより武道よりにシフトチェンジしていく。そして名を掣圏道から掣圏真陰流に改名、真の日本精神を復活させるために活動している。

 

 

さて次回は、掣圏道特集は最終回。掣圏真陰流と名を改め、さらにリアルジャパンプロレスを立ち上げた今の掣圏道について報告させていただく。

 

今回、我輩からの報告は以上であーる!